現在、ヨガには〇〇ヨガという様々な流派が存在しています。
しかし本来、体を動かすのが中心であれば「ハタヨガ」というもののみが存在します。
奉仕活動などの社会的なヨガは「カルマヨガ」です。
パタンジャリがまとめた瞑想中心な包括的なヨガは「ラージャヨガ」ですね。
ハタヨガを実践している方の中から、徐々に自分の名前などをつけて個別に流派を作る人が出てきました。
それが世界的に広がると、まるでそれが「ハタヨガ」の代表のように勘違いされることがあります。
実際は古典文献に則っていない方法を提唱していても、まるでそれがヨガの真髄のように広まっているところが多々あります。
ヨガの実践は本来修行する方それぞれに異なるはずです。
ある一人の方法を多数に押し付けるものではありません。
それは実践者の骨格や、心の状態、人生のステージの段階など様々です。
それを悟りを開いた師が把握し、本人に合わせて適切に悟りへ導くのがヨガの伝承です。
師は生徒をあおる人では無いはずです。
師は生徒を型を当てはめるのではなく、生徒に合った道を指し示せる方でしょう。
師は怒りや感情を完全に制御できる悟った方でしょう。
師は利欲を捨てたヨガの実践者でしょう。
師は本当の幸せを実感し知っている人でしょう。
師は自分の方法が一番だとエゴを振りかざして生徒の自由を奪うものではありません。
グループレッスンが主体になり、型が目立つ分比重が大きくなり、〇〇ヨガという個人の名前をつけたエゴの象徴が広まっていることには危機感を覚えます。
日本にどれくらい本当の師と言える人はいるんでしょうか?
いやインドですらどれくらい本物はいるのでしょうか?
逆にハタヨガをしていなくても師と呼べるように達観されている人生の先輩方は沢山います。
芸術家、経営者、農家、宗教家などヨガと名乗らなくてもヨガと同じ幸せの道の探求者であって、悟った方もいるでしょう。
ヨガの名前に過剰な過信も注意が必要です。
情報が過多な中、またまやかしが多い中、生徒は師を見定める目を持つ必要があります。
3A’sは流派ではありません。
また僕たち講師は未熟であり生徒であり、悟りを開いた師という存在ではありません。
ただ、皆さんの骨格にあったアーサナの取り方はお伝えできます。
そしてその知識は自分に合った快適な、自由なヨガの実践に繋がります。
自分の骨格を無視して、型を自分に無理やり当てはめて苦しい思いをする必要はありません。
ある特定の先生の思想に自分の自由さを犠牲にする必要もありません。
「安定して快適な姿勢」をして、ヨガの求める幸せな落ち着いた、調和のとれた道をただただ進んで欲しいのです。
流派ではなく、ヨガをして欲しいので。
ヨガをしているのに苦しい、痛いというのは本来の姿ではありません。
流派に翻弄されないで下さい。
流派に執着して自分の自由を狭めないで下さい。
流派は誰かが個人的な感覚で作ったヨガである可能性が高く、あなたのために作られたものではありません。
流派の良い点と悪い点を客観的に見つめて下さい。
僕たちは解剖学の視点から、客観的にヨガを俯瞰しています。
古典文献にあるような、ヨガの叡智から外れないように、ブレないようにヨガの実践を行って行きましょう。
あなたはあなたで既に素晴らしい存在なのです。