ヨガは体操が主な入り口ですので、健康体操としての認識が多いかなと思います。
ヨガのインストラクターをしている方々も多くは健康体操の先生という感じだと思います。
健康体操の側面はその通りですが、ヨガの目的はと言われれば「解脱」ですね。
それは人生は常ならぬものばかりで。様々な束縛が存在しています。
日本の代表的なヨギーであった佐保田氏の言葉を借りると、「物理的な束縛」と、「心理的な束縛」があります。
僕らは重力に逆らうことはできません。
高いところからジャンプすれば必ず地面に落ちます。
これが物理的な束縛です。
この束縛から逃れたいからファンタジーではピーターパンのように空を飛ぶんです。
同じように心理的にも束縛があります。
感情が湧き上がってくるとその感情に飲まれて我を忘れてしまいます。
感情に束縛されているのです。
だから解脱という境地に至って、普遍な存在となり感情から自由になりたいのです。
さて、ヨガは宗教ですか?と問われたらなんと答えますか。
健康体操はアーサナです。
プラーナヤーマも呼吸法という訳を当てれば健康法の一種になるでしょう。
では瞑想はなんでしょうか?
最近はマインドフルネス、リラックス瞑想などとこれも健康法のように修飾して広めています。
しかし、ヨガはただぼーっとする瞑想ではありません。
自分の真我を見つける瞑想です。
とても集中を要するもので、リラックス瞑想とは異なります。
ではマントラはどうでしょうか?
お経ですね。
座禅はするけどお経は、、、という方も多いでしょう。
では古典文献の読誦や勉強会はどうでしょうか?
体操は好きだけど古典文献は読まないなという方もいるでしょう。
キリスト教に、賛美歌があり聖書があるように、仏教にお経があり経典があるように、
ヨガにはマントラと古典文献があります。
どうしてヨガのインストラクターの方々はヨガを広めようとしているのでしょうか?
ヨガ幸せに導くと思っているからですよね。
宗教の布教活動も同じモチベーションでしょう。
どうですか?
ヨガは宗教ですか?
どう見ても宗教ですね。
当事者の自覚のない宗教とでもいいましょうか。
ヨガは一神教のように、ある特定の神を崇めて、特定の思想を信仰するというものではありません。
しかし、幸せになるために様々な技法、思想を取り入れて人生をより良い方向へ導く方法である以上それは宗教です。
ヨガはまた、神を外におく宗教は異なり、自己の内部にも神をおきます。
ブラフマンとアートマンです。
インド教の影響を多大に受けているヨガです。
それを日本で広める、実践するにはその背景や、日本との宗教的な相違にも気を配る必要があります。
ヨガのインストラクターを名乗るのであれば、自分自身の宗教性、霊性についてもしっかりと自問することが必要です。
なぜなら中途半端な指導は生徒さんを混乱させ霊性を乱すからです。
3A’sでは、ヨガの背景の宗教性を否定しません。
しかし、日本人としての宗教性を尊重し、健康体操+心身の調整法としてお伝えします。
宗教性は個人で選択する自由があります。
特に日本では神道と仏教が長い歴史を持っています。
それらは日本に適応していると言ってもいいでしょう。
客観的な視点でヨガを捉え、各個人に適した形で、自己選択ができるような知識をお伝えします。
今一度、ご自身の宗教性について考える時間を持ってみてはどうでしょうか?