ヨガでは「あるがまま」を見なさいとよく言います。
色眼鏡で物事を見ると、固定概念で勘違いしたり、偏見を持ったりしますね。
そういうのが自分を束縛し、自由を奪い、苦しみを作ります。
ですから、幸せの方向は「あるがまま」です。
でも多くの人は、ヨガの実践者含め特別なものに心がひかれます。
筋肉モリモリ、腹筋パキパキなムキムキな肉体。
極端にくびれた腰に細い足。
中国雑技団のように柔らかい体。
そもそも骨格は人種によって差があります。
体つきが細い方もいれば太い方もいます。
筋肉は普通の生活をしていてムキムキにはならないですね。
軟体動物のような柔軟性も、普通の生活にはいらないですね。
全て「特別」な状態です。
では特別な状態に幸せがあるのでしょうか?
今の状態には幸せがないのでしょうか?
特別は目立って、注目を浴びてそれが商売になるんです。
皆が特別になったら商売になりません。
特別が普通になってしまうからです。
特別な方はそもそも普通にそのような一般的にいう特別なものを持っているのです。
努力でその状態まで達する方もいますがでも素質はあるでしょう。
人は自分にないものに価値を見出します。
芸術家や芸能人、スポーツ選手などはまさに特別だから社会で重宝されるんです。
でも個人の幸せはその「特別性」にあるのでしょうか?
幸せはいたって「普通」と言われているものの中にあったりします。
家庭、友人、職場の仲間。
食事に睡眠、入浴。
香り、味覚、心地の良い音など。
それは日常に溢れている当たり前と思っている生活にあります。
食べれることの幸せ。
深呼吸できることの幸せ。
家族と話せることの幸せ。
ヨガという名で特別なことをして幸せを偽装していることも多々あります。
いくら柔らかくなっても、いくらムキムキになっても、いくら痩せてもそれだけで幸せになることはありません。
結果として自分に自信がついたり、前向きになるというプラスなことも一次的にはあるかもしれません。
しかし、今度は、その状態を維持するために苦悩が始まります。
大会で1位になった人は今度はその位置を奪われる恐怖と不安と向き合わなければならないのです。
執着がない人はいいですが、多くの方は一度手に入れた特別を手放すのができずに苦しみます。
皮肉なものですが今度は特別なことが苦しみになります。
自然体がなぜ一番幸せの方向なのか、それは執着がないからです。
あるがままを受け入れて「感謝」しているからです。
特別なことの前に幸せが待っているわけではありません。
自然体こそがヨガの求める方向性です。
現代の楽な生活環境によって本来の柔軟性や筋力が低下している方も多いです。
そのような方はヨガで本来のある姿、それこそ自然体に戻る必要はあります。
太っていて、運動不足でいいということではありませんね。
3A’sでは、体の構造を解説しながら、素晴らしい体に感謝し、個性を受け入れるアーサナの取り方をお伝えします。
私たちは特別なものを目指しません。
個性にあわない無理なアーサナは、特別なものに恋い焦がれた結果として怪我を生みます。
体に感謝できる安全で安心な方法を一緒に学びましょう。